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10/01  失業初日

 

まずは、国民年金の手続きのため、区役所を訪れることにした。

季節外れの台風と退職後初日は波乱の幕開け。

大雨の中、区役所の出張所に出向いた。

私自身の国民年金への切り替えと、かみさんの3号から1号への切り替えが必要。

年金手帳を2人分手にして窓口で手続きをお願いした。

 

私 「すみません、私、9/30で会社を辞めまして、
   厚生年金から国民年金に切り替えたいのですが、

    どうすればいいのでしょうか」

職員「厚生年金の資格喪失を証明する書類はありますか」

私 「年金手帳とは違うのですか」

職員「違います。会社で発行してもらう証明です。離職票はどうなっていますか」

私 「手続き中で1週間ほどかかるといわれています」

職員「厚生年金のほうは、9/30で辞められたのなら、

   10/1付けのものが会社でもっと早く発行してもらえると思いますよ。

   辞めて2週間以内の手続きになります、証明を持ってきてください。」

私 「かみさんの3号から1号への切り替えも必要と思うのですが。」

職員「同時にできますので、年金手帳もお持ちください。」

 

聞いてなかった書類の登場で表面は平静を装うもがっくり。

靴下までびしょぬれになりながら失意の帰宅。

勤労へメールで連絡し、書類をお願いした。

(翌日には、退職証明を出すとの連絡あり。

 証明の有効性は区に確認済みとのことだった)

 

10/02

 映画「猫の恩返し」

 

永年の望みの一つ、映画の日に映画を見れた。

これは、スタジオジブリのアニメ映画。

宮崎駿の他の作品と違い(この作品では監督でなく企画だが)主人公が17歳。

原作は柊あおいで、絵も若干ジブリっぽくないのがいい

同じ柊あおい原作の[耳すま」は見てないが、どんな感じですかね。

75分と短いので、25分と短編の「ギブリーズ」が併映だった。

こちらはテクスチャは水彩風だが背景が3Dで書かれていたのが印象的だった。

映画の寸評

 

10/03

 CEATEC

 

在職中に予約していたCEATECへ行く。

ご存じない方のために言うと、ネットワーク関連の老舗の展示博覧会で

今年も幕張メッセで開かれた。

次の仕事を考えるに、関心が「ホーム&パーソナル」に移ってきたので

そちらを中心に見た。

CEATECのホーム&セキュリティでは、

最近の展博でうるさいほどでしゃばっている携帯の展示は影を潜め、

もっぱら大画面テレビのオンパレード。

プロジェクターもたくさん出ていて

ホームシアター」がキーワードのひとつになっていた。

次世代のDVD、いわゆるブルーレイDVDも出ていたが、

外観からはすごさが判らないのでアピール度はもうひとつ。

15インチの有機ELディスプレィが出てました。これはすごい。

早く買えるくらいの値段にならないかと思う。

 

ここで、展博について

展示博覧会を展博(てんぱく)と呼んでいます。

大きな展博は、東京ビッグサイト/幕張メッセ/パシフィコ横浜などで開かれます。

最近乱立気味ではありますが、テーマも絞り込まれているので、

事前に内容をよく確認していく必要があります。

最近までは、通信キャリアばかり元気で、携帯電話のセールスの場になっているのでつまらなかった。

基調講演やセミナーには見るべきものが多い。

事前登録や、出展者のサービスで無料入場券がもらえることが多いので

それを狙ってます。ただし、Macオンリー系は只券のないものがほとんど。

 

10/07

 国民年金手続き

 

10/4に退職証明書が届いていたので、再度区役所に出向くことにした。

退職証明書、私の年金手帳、妻の年金手帳を持って区役所に到着。

私 「9/30で会社を辞めて、国民年金の手続きをしたいのですが。」

職員「会社を辞めた証明はありますか」

私 「会社に相談したところ、退職証明を出してもらいました。」

退職証明と2人分の年金手帳を渡す。

職員「これで結構です。書類を作成しますので、暫くお待ちください。」

端末のところで、カチカチと打って、

プリンタから出た書類(ぱっと見、住民票のよう)を持って戻ってくる。

職員「年金手帳と、退職証明の写しを取っていいですか」

承諾すると、コピーを取って返してくれた。

職員「国民健康保険の手続きもしますか?」

私 「会社の方の組合健保の任意継続をお願いしましたので結構です。」

職員「それでは国民年金の手続きだけですね、

   ここにこうこう書きましたので、

   確かに10/1付けで国民年金への切り替えを受付いたしました。

   後は社会保険事務所のほうから、保険料の振込みの依頼が行くと思います」

私 「自動振り替えにしたいのですが」

職員「振り替えの書類も同封されると思いますので、それで手続きしてください。」

私 「住民税の給与引き落としができなくなるのですが、どうなりますか」

職員「書類がいくとおもいますので、それを待ってください」

私 「ありがとうございました」

時間にして5分程度。

国民年金への切り替えは簡単に終了した。

手続きのひとつが終わって、一安心。

 

夜、実家の大阪から電話。

お袋(大阪弁ではおかん、生まれの神戸ではそうは言わなかった)から電話で、

入院中の親父が容態が悪くなり、もう直らないと言われたらしい、

いつ死ぬか判らないとのこと。

看護婦から、もしものときは葬儀屋を紹介するとまで言われたとのことだった。

励ますが、覚悟するしかない。

来るかと聞かれたが、そうすぐには死んだりしないだろうから、考えとくと言って切る。

タカをくくっていたら、再度電話あり。

病院から呼び出しがあり 今から行く、とのこと。

30分ほどして、また電話。

「死んだ、死に目にあえなかった。」とのこと。

来るかと言われたが、10時過ぎでは今日中には着かない。

明日朝行くことにし、家族全員(といっても4人だが)に用意をさせることにした。

また電話あり。「遺体は霊安室に置くと言っているので、

かわいそうだから連れて帰る。葬儀屋に頼むので、大丈夫。」

「葬儀屋は地元を頼んだ。」

予定は立たないが、暦を見ると、

7日仏滅、8日大安、9日赤口、10日先勝、11日友引、12日先負。

9日10日辺りか。

実は、9日、10日に連チャンで送別会が予定されていたので、

断りのメールを入れた。

 

10/08

 求職申し込みと大阪行

 

朝、6時過ぎに大阪の母から電話あり。

明日通夜、明後日告別式なのでゆっくりおいで、との連絡だった。

8時頃郵便で離職票が届いた。職安へ行かずに大阪へ行くかどうか迷う。

今日、職安に行かないと下手すると来週の火曜、

15日まで行けない可能性が高い。

どれくらい時間が掛かるかもわからず考えあぐねるが、

ネットで調べると、1.5時間くらいで午前中は比較的すいているとのことなので、

思い切って行くことにした。

離職票1、2に自分で承諾のサインをして、その他の必要事項を書き込み、

写真、印鑑、免許証、これは本人確認のため、

通帳、これは振込口座の確認のため、

銀行に確認印を押してもらっても良いが、通帳の方が簡単、

最後に失業保険の被保険者証を用意した。

以前江東区を所管する職安(ハローワーク)は亀戸駅の近くにあったが、

今は移転して木場にあるが、森下にも出張所がある。

「お近くの職安」はどっちか迷うが、出張所は不安なので木場に行く。

 

自転車で20分掛かり、途中小雨も降ってきて、またも不安な出だし。

9時17分にハローワークに着く。入り口は結構人がいっぱい。

ネットの案内によれば、1階の受付を通してから、2階24番へ行けとのことだが、
とりあえず、受付に並ぶ。男女の職員計2名が受け付けをしていた。

数分で順番が回ってきた。

私 「初めてなんですけど、どうすればいいんでしょう」

職員「求職の登録ですね、フルタイム希望ですか、パート希望ですか

   書類をお持ちですか」

フルタイム希望と告げ、離職票と写真を出すと、

係員が手際よく確認しクリップしてくれる。

職員「この書類とアンケートに記入して、またここへ持ってきてください、

   窓口をご案内します 。」

申請書に希望する仕事の内容、資格、得意分野、時間帯、勤務場所、希望金額などを

書くようになっている。

果たして希望金額はいくらと書けば良いのか、

とりあえず空欄で、アンケートにも記入して窓口へ。

職員がざっと確認してくれて、

職員「(月収の)希望金額はいくらぐらいですか」

私 「現実的なところがわからなくて」

職員「そうですね。でも一応今までの金額と同じくらいにしておきましょう。」

と、今までの月収を切りのいい数字で書く。

またまた間手際よく書類を整理して、クリアファイルに入れ、

「これをあちらの12番のボックスに入れてお待ちください」

指示通り、12番窓口のボックスに入れて待つ。

ボックスの前には、大勢の人が座って待っている。

「こりゃあ、相当掛かるなあ。」と見ていると、

座って待っている人の大半は、仕事の検索端末の順番待ちだった。

程なく別の職員から名前を呼ばれ、

職員「これは、受付票です。これから来るときは必ず持ってきてください。

   今日はもう使いませんので、しまって置いてください。

   こちらのピンクのフォルダーを2階の24番へ持っていってください。」

 

2階へ行くと、職員がマイクで何かの説明をしていた。

大勢の失職者の人たちが熱心に聞いていたので、窓口に近づけない。

内容はまったくわからないが、とにかく話が終わるまで10分ほど待ってから、

24番窓口のボックスに入れる。

数人分が溜まっているがどのくらい掛かるのかまったく読めない。

担当は女性一人。

暫くすると男性職員がボックスから書類を取り出し始め、処理に参加。

女性の職員は突込みが厳しい

 

職員「住所、氏名、生年月日を確認できるものはありますか。」

  「それはだめですね、顔写真がないから。

   健康保険証なら良いですよ。後は運転免許証ね。

   ああ、それはだめです。」

  「この離職票は期間が短いからだめです。

   一応手続きはしますけど前に勤めてたときの分を持ってきてください。

   持ってこないといつまでも正式の手続きに入れませんから。」

突っ込まれるとやだな、出来れば男の方の職員に、

なんて思っているとその女性職員に呼ばれる。

 

職員「9月30日にお辞めになってますが、

   今日までどこかで働いたりしてますか。」

私 「まったくありません」

職員「退職理由は自己都合ですが、間違いありませんか

私 「間違いありません」

職員「住所氏名を確認できるものは」

私 「免許証があります」と言って出す。

職員「通帳はお持ちですか」

私 「はい、これです」

職員「番号確認のためにこのページのコピーをとって良いですか」

OKするとコピーのために席を離れた。

 

隣では、退職は自己都合に間違いありませんか、と聞かれた女性が、

「そうなんですけど、最後の3ヶ月は残業がすごくて体調を悪くしてしまって、

 9月は休みがちになってしまったんです。それで辞めることにしたんです。」
なんて話をしていた。

 

職員が戻ってきて、通帳を返してくれ、7日間の待機期間の話と、

職員「10月22日に雇用保険の説明会を行いますので、直接3階の会議室に来てください。

   その後、第1回の認定は11月5日になります。

   所定の期日においでにならないと認定されなかったり、
   保険適用がされない
ことがありますのでご注意ください。

   今日はこれで終わりです」

と、にっこり微笑んでくれ、書類を渡してくれた。

自転車置き場に戻って時計を見ると、10時17分。

ちょうど1時間だった。

 

11時前には家に戻り、大阪へ行く準備をする。

金額的には、4人となれば車で行った方がはるかに安上がりだが、

時間が掛かるのと事故でも起こしてはかなわないので、電車で行くことにする。

11時過ぎに家を出て新幹線経由で、4時過ぎに東大阪の実家に着いた。

妹夫婦と甥、姪も来ていた。

葬儀屋が来ていて、紹介された。

簡単に打ち合わせに参加して、葬儀屋が帰ったところで、親父の死に顔を見る。

すっかり頬もこけ、病院に見舞いに行ったときとは様変わりしていた。

目が半開きで少し怖い。

お袋がなんだかんだうるさく言っているが、

いまさらいってもしょうがないようなことが多い。

在職時の関係で、新聞社から葬儀に関する問い合わせがあった。

毎日、朝日、読売、共同通信の4社。
おやじの元の勤務先である大学からの通報らしい。

明日に備えて早めに寝ることにした。

 

10/09

 葬儀準備

 

朝、再び葬儀屋が来て、相談。

いろんなものの数量や、手配の内容。

関東との違いは、通夜で弔問者に何も出さないことだ。

通夜の後、残った親戚連中に食べ物を出すので、その数量を確認。

また、関東ではマンションの集会室で葬儀をするところも多いが、

大阪ではほとんどないらしく、葬儀社の所有する会館に決めてあった。

親父のPCを使ってもとの会社の友人と、

直接問い合わせてきた計4人に場所や時間の連絡をする。

Webメールは便利だ。

 

昼ごろ葬儀社が、遺体をとりに来た。

死に装束は着物でなく、好きな服を着させてやると言うことで、

一番気に入っていたスーツとネクタイにする。

金物はだめと言うことだが、めがねはつけてもらうために渡す。
最後に取り出すらしい。

準備に4時間ほど掛かるので、5時前には会館に来てほしいとのこと。

妹夫婦を4時30分頃着くように先に会館に行かせ、

1時間ほど遅れて家族とお袋と一緒に会館へ向かう。

近鉄で3駅ほどの距離。

行くとすでに祭壇の準備は出来ていた。

遺体は死に化粧の際にいろいろ細工がしてあり、

血色がよく頬もぽっちゃりして、軽く組んだ手もふっくらしていた。

めがねを掛け、目を閉じているが、きちんとスーツを着てネクタイをし、

お気に入りの帽子を右胸の上に置いた姿を見たら、

何年か前、うちに遊びに来た帰りに東京駅まで送って行ったときのことが思い出された。

げっそりした死体を見たときとはまったく違った感情に襲われ、

不意に悲しみがこみ上げ、涙がこぼれた。

 

通夜の席にそろそろ人が集まり始めたが、初めて見る人も多かった。

予定通り18時30分に通夜が始まり、焼香が始まった。

弔問客を見ていると、なんと東京から一昨年までの所属のYさんが来た。

タイミングを見て席からはずれ、御礼に行く。

式次第の都合があり一言二言しか話できないがわざわざ来てくれた御礼をした。

たまたま関西支店に来ていたので、と言ってくれたが、
淀屋橋の関西支店からも結構あるので、面倒を掛けた。

親父も退職してから10年以上経つし、私も辞めてしまったので会社関係はあまり来ない。

実家といっても、もともとは神戸出身なので旧知の人は少ない。

つまり、近所付き合いもあまりなく、ついでのお義理では焼香に来てくれる人はあまりいない。

1時間ほどで通夜は終わり、用意してくれた夕食を摂った。

妹の旦那の仕事関係の何人かが残ってくれていたが、ほとんどはすぐに帰った。

家族も帰して、暫く火の番をした。

本来なら夜通し残るのだろうが、うるさいのが嫌いな親父なので、1時間ほどして
新しいろうそくに火を灯して事務所に一声掛け、帰ることにした。

家に戻ってからは弔電の順序を考える。

段取りの都合もあり、親父分3通、自分、妹旦那関係各1の計5通を読んでもらうことにし、
名前を読んでもらう数を10通ほど決める。

 

10/10

 葬儀当日

 

昔なら体育の日だが、今はただの金曜日。

大体、体育の日が何故10月10日だったのかを考えると、
何でも月曜にすればいいというもんじゃない。

元来ハッピーマンディには反対だが、今日はその議論は関係ない。

妹から旦那関係の読んでほしい弔電と、名前を呼ぶ順序を受け取る。

怪我をしたときに使っていたステッキを棺に入れてやるために
葬儀会場に持っていくことにした。

用意をしていると先発隊の妹の旦那から電話。

現地へ直接届いている弔電の連絡だった。

元の勤務先の幹部から弔電が届いていて、読みの順序が変わる。

 

告別式は、12時30分からだが、早めに現地へ行った。

弔電を読む順番、名前を告げる。親父の知人が代議士の話を持ちかけてきた。

代議士からの弔電は読まないことにしていたが、まずいのではないかと言う。

秘書でも来るのか、とりあえず名前だけは呼んでもらうことにした。

昔、仙台の葬式へ行ったときに三塚氏の弔電があったことを思い出す。

次々と親戚が集まってきた。20年ぶりくらいに会う人もいた。

12時頃、かみさんのお袋が来てくれた。

12時過ぎ、お坊さんに挨拶に行く。

地元の寺から導師、実家の墓のある神戸の寺から副導師、戒名料その他を渡し、

よろしくお願いをする。

 

弔問客の中に、最後の所属部署からMさんが来てくれていた。

東京からだ、遠路、多謝。

告別式のお坊さんの衣装は通夜のときとは違い、さすがに立派だ。

読経の中、焼香が始まった。

ここでも関東との違いというか初めての経験。立礼がある。

立礼とは、親族の故人に近い者(男性)が3名ほど出口に立ち、

焼香を終えた弔問者にお礼をするのだ。

当然ながら、自分がその先頭。

焼香の後、弔問者へお礼の挨拶。予定通り手短かに済ます。

挨拶の後、東京から来てくれたMさんにお礼を言う。

時間が早めに済んだこともあり、最後のお別れに花をありったけ入れる。

ステッキを入れてやり、めがねははずして棺の蓋をした。

最後かと思うと涙が出た。

出棺に手を貸し、お袋が位牌、私が遺影を持ち、息子と計3人で

タクシーに乗り、後はマイクロバスで火葬場に向かう。

親戚も歳を取り、遠くから来ていることもあって、代表の一組を残して帰ってもらった。

 

東大阪の街中に火葬場はあった。

墓地の隣のこじんまりとした火葬場。

神戸の市立斎場とは大違い。
神戸市内には4つの市立斎場がある。

母方の祖母が亡くなった時、どれかは忘れたが出来たばかりの斎場で式を行った。

山を切り開いた広大な公園の中のような斎場で、火葬の間もずっとそこで過ごすことが出来た。

東大阪の火葬場にそんな場所はない。

いったん会館に戻り、昼を摂った。

かみさんのお袋と娘は夜帰らせることにして段取り等の打ち合わせ。

 

約2時間後、骨を拾いに行く。

頭蓋骨がばらばらになっていて、喉仏がよくわからないようだった。

骨盤から大腿骨はきれいに残っていた。
どうやらお棺の下の支えの石が、ちょうど腰の辺りにありそこは形が残ったが、

頭と足先は支えの石から外れていたので落下してばらばらになったようだ。

もう少し、頭蓋骨の天蓋が残っているかと思っていたが、ばらばらでがっかりした。

段取りどおり、お骨拾いを終え、会館に戻る。

 

4時半ごろから初七日を会館で執り行なう。

神戸の寺から来てくれたお坊さんが、卒塔婆を持って登場した。

読経の中、回し焼香、小1時間で初七日は終わり、

骨壷、位牌、卒塔婆などを持って実家に戻った。

暫くして葬儀屋が祭壇を持ってきてくれ、飾り付けをした。

6時半ごろ、娘とかみさんのお袋を送っていく。

乗換え等不案内なので新大阪まで送り、新幹線に乗せてから実家に戻った。

娘から11時半ごろ着いたとの連絡があった。予定通り。

東京には明日帰ることにした。

 

10/11

 帰京

 

香典の計算を行う。金額が合わない。

告別式は香典袋を開け金額の集計まで受付の方にお願いしていたが、

通夜の分は内容を確認していなかったので金額の確認、転記、計算、札数え。

転記が間違っているとわかるまで何度も数えなおした。

おかげで帰る時間が遅くなり、焦って用意をしたので、持って帰る予定のもの、
特に車中で飲み食いするものを置き忘れてしまった。

洋服がすっかり抹香臭くなってしまったので、新幹線では上を着替えた。

3人で6時頃、家について本日の予定は終了。

葬儀としてはいったん終了だが、手続きやら何やら残っている。

死亡届はしてあるらしいが、年金、銀行、電話他

親父名義のものがあるかと思うと結構大変だ。

そのたびに行くわけには行かないので、妹に期待。

 

10/16

 映画「SIGNS」(邦題:サイン)

 

メル・ギブソン主演のSF物というか恐怖物というか、結構面白かった。

何せ登場人物が少ない

子供がうまい。物語として面白いので、読み物でも良いかもしれない。

映画の感想  

 

10/17

 World PC EXPO 2002

 

東京ビッグサイトで開催されたWorld PC EXPOに行く。

東館の2ホールから6ホールまでと、西館の1、2ホールを使っての展示。

ご存知のように東館と西館は離れているのでちょっと不便。

西館裏の屋外駐車場に車を入れる。ここは、200円/時間となっている。

会議棟の地下駐車場の方が便利だが、300円/時間なのと置ける台数が少ないのが欠点。

ビッグサイトの他の駐車場は大体1500円/日となっている。

相変わらず携帯が幅を利かせていたが、以前に比べるとだいぶおとなしくなってきた。

SONYとAUが真向かいにあって、お互いに相手の邪魔をし合っていて気の毒だ。

CANON Pixus(西館)とEPSON Calorio(東館)が離れていたのはちょっと残念、
もう少し近くで火花を散らして欲しかった。

3840×2400のディスプレイがそこここにあり、ざっと200dpiになるが、

超でない高精細としては秀逸の出来でとてもきれい。

プロジェクターでplusが出てなかったのは何故? 見落としたか?

マイクロソフトのブースにはかなり期待していたが、tablet PCとXboxばっかりで、残念。

全体にコンパニオンは最近になく粒揃いで、みなさんすらっとしてタッパ有り。

Pressの腕章の奴はけしからん

カメラを向けるとポーズをとるのは彼女たちの性か。

きれいに写ると、次の展博でもいい話が来るらしい。なんてね。

 

10/22

 初回説明会

 

前回指定されたとおり、午後2時を目標に木場のハローワークに出向く。

5分ほど前に着いたが、3回会議室はすでに満員に近い状態だった。

入り口で名前を告げ書類をもらい、前のほうの席に着く。

程なくして説明が始まった。

 

最初は、求職相談についての説明が15分ほど。

・求職検索PC88台は、各自1時間を限度に使ってよい。

・面接のアポを自分で取ってもよい。

・履歴書、業務経歴書は常識をわきまえ、丁寧に詳しく書くこと。

 

続いて、失業保険の説明ビデオを30分ほど見る。

・失業認定3条件(求職活動している、すぐ働ける、現に職がない)

・怪我や病気は、期間延長、傷病手当などの制度がある。

・不正給付は絶対ばれるし、2倍返しとなる。

 

次に、失業給付資格者証の説明と認定申請書の書き方

・番号は13130-02-XXXXXX-Xとあるが、
 13130は木場のハローワーク、02は2002年

・認定日に「1−月」や「1−火」とあるが、
 これは、週を1から4に順に振り、曜日とあわせたもの。

 つまり、認定日は4週ごとにやってくるので、それの早見となっている。

 ただし、祝日や年末年始にかかるときは、前倒しに変更になる。

私の場合は、「1−火」なので、1の週の火曜日となる。

ちなみに1の週は、2002年10月で言うと6日の週。

11月は3日の週。12月は1日の週と29日の週の2回になる。

・認定から認定までの4週間に2回以上の求職活動(=相談や応募)が必要。

・初回のみ、1回でよい(その1回も本日の初回説明会で充当)

・7日間の待機期間、自己都合退職はさらに3ヶ月の給付制限がある。

私の場合、10月8日の求職申し込みなので、

1週間後の10月15日からの3ヶ月が明ける

来年の1月15日からの失業期間について給付がもらえる。

全般にハローワークも忙しく、とても全員に就職の斡旋などの対応はできないので、

金を払うから皆さんの自主的求職活動に期待する 、という雰囲気。

要は自助努力と言うことだ、やや期待はずれ。

説明は2時間ほどで終わり、散会となる。

 

10/27

 晴れ着を買う

 

娘の成人式に合わせてかねてから予定していた晴れ着を買いにいく。

いわゆるB反。小さい傷や塗りの飛びがある生地を使っているもので、

反物価格は正反の1/3くらいになる。

仕立て代や小物類はそれほど安くはならないが、

全体では、同等品をデパートで買う場合の半額くらいになる。

かみさんの黒留袖を買ったのと同じ店。

京都の店なのでイベントで東京に来たときを狙っていた。

仕立て上がり期間を考えるとそろそろぎりぎり。

結構良いものがたくさんあって娘も大いに迷う。

地色や柄の模様、大きさなどなど結局1.5時間ほどかかって

赤系統の落ち着いたものに決めた。

娘は買った後で、あれだけ毎回のように

「もう間に合わない、買うにしても借りるにしてもぎりぎりだ、

 いつ買ってくれるの」と騒いでいたのに、

「今日買うとは思わなかった、下見のつもりだった 。でも買えたから良いや」

だそうです。

 

10/28

 抜歯

 

2週間ほど前に奥歯の歯茎が腫れてしまったが、その後落ち着いていた。

ところが、この2、3日急に歯が痛み、動いている感じもするし、

食事もままならない状態となっていたので、歯医者に電話する。

いつも行く歯医者は完全予約制で、今までの経験で言うと

予約は2、3日後なるので覚悟して電話する。

ところが、「11時に来れます?」となって、すぐ見てもらえることとなった。

 

医者「どうしました」

私 「左上の奥歯が痛んで」

早速見てくれる。

医者「ああー。動いちゃってるなあ」

  「レントゲン撮ります」

現像が出来るまでしばらく待つ。

医者「中で根っこが折れちゃってますね、抜かないと無理ですね。

   どうしますか。」

私 「時間は大丈夫ですのでお願いします」

麻酔後暫くして抜歯が始まる。

めりめりと言う音が頭に響いて歯が抜かれる。

医者「XX鉗子、いや残根鉗子が良いかな」

うわー。歯根が残っているんだ、漢字がわかると、なおさら気持ちが悪い。

再び、めりめり感が頭に響くが、まもなく抜歯はすむ。

抜いた歯を見せてくれた。

医者「これが抜いた歯です。このように中で折れてこれが歯根です。

   もう少し上で折れていれば、残すことも出来ましたが、

   ここまで中では無理でしたね。

   後は、ブリッジすることも出来ますが、

   片側で持たせることになるので支えの歯にかなりの負荷がかかります。

   そのままにしておいたほうが良いと思います。」

 

家に帰って昼ごろ痛み出したが頓服を飲んで回避。その後は痛むこともなかった。

 

10/29

 仏壇

 

仏壇を買ったとの連絡。結構するが、お坊さんに紹介してもらったらしい。

奥行きが50センチもあるが、昔に比べると薄くなったとのことだった。

 

10/31

 求人検索

 

一度求人検索をやってみようと思い、10時30分に職安に出向く。

11番がPCの申し込み窓口で、どうすればいいのかうろうろしていると満席になってしまう。

あれれっと思ったが、直ぐ空きができたので借りられた。

PCは、タッチパネルで、タッチペンも貸してくれたが、指でタッチしても作動する。

まず、性別と年齢をいれる。

その後、希望給与、業種や職種、勤務希望地、その他で検索ができる。

さらに絞込みができる。

 

東京都内で、50歳以上OKで月収50万円、SEで検索すると130件ぐらいがヒット。

一覧を見ると、50歳を明示しているのは少なく、大半は年齢不問 。

半分は派遣のプログラマだ。

コーディングはできないし、この年で派遣は論外だ。

一覧から選ぶと、求人票も見れる。

一回のセッションで、一覧表は4枚(1枚最大15件)

求人票は10枚まで印刷できる。

画面にその旨の説明は出るのだが、最初は理解できなかった。

条件的によさそうなにみえるのもあったが、

社員4人とか8人とかの会社で数名募集している。大丈夫か。

求人票の詳しい見方もよくわからず、結局は応募しないとわからないので、

今日は下見にとどめる。

 

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