ドリーム
タラジ・P・ヘンソン、オクタビア・スペンサー、ジャネル・モネイ、ケビン・コスナー、キルスティン・ダンスト。
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1961年、バージニア州。NASAで働く仲良し黒人女性3人組の物語。
本題に入る前に、当時の米ソの宇宙開発戦争を整理しておく。
そもそも、宇宙ロケットと大陸間弾道ミサイル(ICBM)のロケットが原理的には同じものであり、
ICBM開発の延長線上に宇宙ロケット開発があったことはよく知られている。
1957年10月、当時のソ連は、電波発信機を乗せた人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功した。
次いで、11月、今度はライカ犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げに成功した。
その後、スプートニク3号(1958年5月)、4号(1960年5月)と打ち上げたが、いずれも帰還はできず。
1960年8月に打ち上げられたスプートニク5号ではついに搭乗した2匹の犬やその他の動物の帰還回収に成功した。
一方のアメリカは、ソ連のスプートニク1号の成功に危機感を覚え、1957年11月、NACA(アメリカ航空諮問委員会)に「宇宙技術特別委員会」を設置、委員会は1958年3月にNASA(アメリカ航空宇宙局)に改組され(活動開始は同年10月)、NACAは解体された。
アメリカ初の人工衛星は、JPL(ジェット推進研究所)が製造し1958年1月に打ち上げに成功したエクスプローラー1号。
なお、JPLは同年12月にNASAの指揮下に入っている。
ソ連は1961年4月、ユーリー・ガガーリンを乗せたボストーク1号で地球を一周し、初の有人宇宙飛行に成功した。
アメリカはマーキュリー計画で有人宇宙飛行を目指したがなかなか成功せずソ連に後れを取った。
そして、1961年5月、アラン・シェパード飛行士が搭乗し、15分の有人弾道飛行に成功。
1962年2月、ジョン・グレン飛行士により地球3周のアメリカ初の有人周回飛行に成功した。
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1961年と言えば、やっとトランジスタ式のコンピューターが登場したころで、事務所では電動機械式計算機がまだ幅を利かせていた。
電卓(電子式卓上計算機)を各メーカーがこぞって販売するようになるのはその数年後。
一方でいわゆる汎用機(メインフレーム)と呼ばれる大型計算機も登場し始めた。
IBMは1959年にトランジスタ方式のメインフレーム機IBM7090をレンタル開始していた。
(当時のコンピューターは超高価だったためレンタル方式だった)
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1961年当時はまだまだ黒人差別が行われていた時代で、トイレや飲食店、バスの乗車位置まで、WHITEとCOLOREDに分けられていた。
1960年代のボルチモアが舞台の2007年の映画「ヘアスプレー」でも、黒人と白人が仕切られている様子が映し出されていた。
そんな時代。
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そんな時代背景の下、いよいよ本題に入る。
8歳のキャサリンは数学に卓越した才能を見せ、その後教師の勧めもあって飛び級で高校に進学、そこでもぐんぐんと力を発揮した。
(15歳で大学に入学、18歳で卒業している)
やがて、1961年。
成長したキャサリン・ゴーブル(タラジ・P・ヘンソン)、ドロシー・ボーン(オクタビア・スペンサー)、
メアリ―・ジョンソン(ジャネル・モネイ)の3人は、車での通勤中、故障で立ち往生していた。
そこに白人警官のパトカーが接近。
NASAに勤めていて遅刻しそうだと説明すると、警官はパトカーで先導すると言ってNASAのラングレー研究所まで送ってくれる。
メアリーはその様子を自虐的に語る。
NASAでは、多くの計算手(コンピューター)を雇っていた。
その多くは女性で、黒人たちは西計算センター、白人たちは東計算センターで勤務していた。
ソ連にスプートニク1号による世界初の人工衛星の成功、スプートニク5号による犬などの生物の宇宙飛行と生還を先んじられ、
軍の焦りは募った。
NASAの技術者たちも次は犬でなく核弾頭を積んで飛ばすのではないかとの軍の心配を杞憂と退けることはできなかった。
当時のNASAでは、有人飛行へ向けてマーキュリー計画が進められていたが、有人宇宙船を大気圏に再突入させる際の
位置や角度、それに宇宙船の帰還場所の計算に手間取り、有効な計算式が見つけられないでいた。
ドロシーは計算手を束ねて主任格の仕事をこなしていたが、処遇は一般社員のまま。
管理職への登用を嘆願するも責任者(スーパーバイザー)のビビアン・ミッチェル(キルスティン・ダンスト)は
黒人の管理職は前例がないと却下する。
また、メアリーは技術者としてカプセルの開発チームに移動するが、技術者としての職位が得られないままだった。
昇格基準はクリアーしていたはずだが、規則で新たな資格(白人専用の学校でしか取れない)が必要だと言われる。
私生活ではドロシーとメアリーには旦那と子供がいる。
キャサリンは夫に先立たれ、母親の手も借りて2人の娘を育てている。
3家族とも日曜には教会に行く間柄。
キャサリンは教会やその後のパーティで独身の帰還兵とも出会うが、彼の女性を卑下するような発言に怒りを隠さない。
さて、当時のJFケネディ大統領の意向もあり、NASAは有人飛行の実施を急がされるが、そこでもソ連のガガーリンに先を越された。
スペース・タスク・グループ(STG)の責任者、ハリソン(ケビン・コスナー)は、不足している解析幾何学の研究者を探し、
西計算センターからキャサリン・ゴーブルの推薦を受ける。
とはいえ勤務場所は白人仕様の東計算センターで、STGには女性もいなければ、黒人もいない。
研究員に奇異な目で見られながら、入室したキャサリン。
ハリソンはキャサリンをテストしようとしたが、その発言で才能を確信し、STGの検算係に抜擢する。
しかし、主任のポール・スタフォードから渡された資料は所々黒塗りで、検算に必要な数字も見えないところが多かった。
苦情を言うキャサリンにスタフォードは検算は形だけだ、と言って取り合わない。
キャサリンがコーヒーをポットから汲むとみんなが驚きの目で見る。
トイレに行こうとすると、庶務係の女性は有色人種用のトイレは知らないわ、と答える。
やむなくキャサリンは資料を抱えたまま用いた西計算センターまで走り、用を足しながら数字をチェック、
また急いで東計算センターに戻る。
翌日、キャサリンがコーヒーを入れようとすると、小さいポット(中身は空)が置かれ「カラード」と書かれたタグが貼られていた。
トイレ問題は相変わらずで、一旦離席すると3、40分は席に戻れない毎日だった。
そんな中、IBM7090が導入されることとなった。1秒間に24000回の計算ができると言う。
しかし、導入時に大きすぎて部屋に入れられなかったり(ドアを壊して入れることになる)
エンジニアがいろいろ操作してもピクリとも動かず、ハリソンはまともに動くまでレンタル料は払わんと激怒する。
たまたま東計算センターに資料を届けに行きIBM7090の存在を知ったドロシーは、図書館で「FORTRAN」の本をくすね、
また勝手に計算機室に入ってマニュアルを読むなどしてIBM7090を勉強した。
やがて、独学でプログラムを組み、パンチカードを読ませてIBM7090を作動させているところへ、
IBMのエンジニアが入室、ドロシーをいったんは怒鳴るもののプリントが打ち出されたのを見て驚愕する。
ドロシーは西計算センターの他のメンバーにもFORTRANやIBM7090の知識を伝授する。
ある雨の日、キャサリンは雨の中傘も差さずに西計算センターに向かった。
びしょ濡れになりながらやっとの思いで席に戻ったキャサリンにハリソンがどこに行っていた、いつも離席していると叱責する。
ついにキャサリンは切れ、東棟には有色人種用トイレがないので、800m離れた西計算センターの有色人種用トイレに行っていた。
自転車は禁止、傘も貸してもらえないから走っていくしかない、トイレに行くぐらい許してくれたって良いでしょ、と答える。
ハリソンはそこではじめて「カラード」と書かれたポットの存在を知り、「有色人種用」と書かれたトイレの看板を打ち壊し、
これからはみんなが一番近いトイレに行くように、と指示を出す。
ロケットではソ連に後れを取ったアメリカだが、宇宙飛行士候補の選定と訓練は行っていた。
マーキュリー・セブンと呼ばれた7人の宇宙飛行士がNASAのラングレー研究所を訪れたとき、居並ぶ関係者の中に
離れて立っていた西計算センターの面々がいた。
白人研究者らの前を通って研究所内に入る際、ジョン・グレン(グレン・パウエル)はまだ人がいる、と言って制止を振り切り
ドロシー、キャサリン、メアリーらとも握手を交わす。
ドロシーにIBM計算機室への異動が命じられる。
ドロシーは一人では異動しない、と拒否する。
結果、ビビアンは折れ、西計算センターの黒人女性たちは全員が計算機室勤務となり、IBMのエンジニアたちに歓迎される。
その後、ビビアン・ミシェルは東計算センターの計算手にもコンピューターの知識を教えるようドロシーに頼むが、
ドロシーは自分は管理職ではないので権限がない、と言って断る。
結果、ビビアンはドロシーを管理職に登用するよう進言して認められ、ドロシーは念願の地位を手に入れる。
メアリーは黒人の権利獲得には実力行使が必要だと言う夫の反対を無視して、白人専用大学への入学を請願する。
ここはバージニア、国の最高裁がどういおうとバージニアはバージニアの州法に従う、と言い放つ裁判官を
見事に説得したメアリーは同学の夜間講座への入学を許可される。
メアリーの夫もついに折れ、メアリーを応援する。
キャサリンに渡される資料にはあいかわらず黒塗りがされていた。
キャサリンは資料を透かしてATLASの文字を読み取り、黒板に式を展開し、その結論として、
REDSTONEは失敗、ATLASは成功、と書いた。
ハリソンはキャサリンを呼び、事の経緯を聞いた。
もちろん展開された式は正しく、機密であるはずのATLASも透かして読み取ったものだったことがわかり、
ハリソンはスタフォードに黒塗りを止め、すべてをキャサリンに開示するよう指示する。
アメリカ最初の有人(弾道)飛行は、1961年5月にアラン・シェパード宇宙飛行士の搭乗で成功していたが、
7月のガス・グリソムの飛行では帰還した宇宙船の回収に失敗して水没させ、メディアからも非難を受けた。
有人周回飛行の成功が急がれ、ハリソンも研究者にハッパをかける。
キャサリンへの期待はますます大きくなっていったが、帰還時の再突入地点を計算する式が、なかなか見いだせない。
そこでオイラー法を利用することを思いつき、精度の高い近似式、近似値を得ることについに成功する。
有人周回飛行決行まで期日が迫る中、計算の根拠となる宇宙船の重量や位置などが毎日のように変わり、
会議後に数字を聞いて計算してもすぐに無駄になる日が続いた。
キャサリンが会議に出してくれとスタフォードに言うのを聞いたハリソンは、出席を容認。
キャサリンは会議ではもたつくスタフォードに代わって重要な数字を即答。
さらにハリソンに促されて、その場で計算式を解き、再突入地点と着水地点を割り出して見せた。
こうして再突入などの数値は確定したが、その後計算はIBM7090をつかっておこなわれることとなり、
計算係は要らなくなったとしてキャサリンは西計算センターに戻されることとなった。
いよいよ、グレン飛行士が乗る当日。
管制室ではハリソンがIBM7090の計算と再計算の結果が異なることに気づいた。
その頃グレンは宇宙服に着替え発射台に向かっていた。
ハリソンは問題が発生してGO/NOGOの判断がつかないとグレンに連絡。
グレンはキャサリンが確認してくれるなら行くと答え、ハリソンは部下に資料を持たせて西計算センターに走らせた。
西計算センターではみんながTVのマーキュリー発射中継に見入っていたが、NASAが計算の再確認を行っていて
発射が延びているとアナウンスされていた。
そこに飛び込んできたハリソンの部下がキャサリン・ゴーブルはいるか、と聞き、キャサリンは今はキャサリン・ジョンソンですと答える。
部下は直ちにキャサリンに資料を渡し再計算を依頼。
キャサリンは必死で再計算を行い、数字を割り出した。
フーッとため息をつくキャサリン。休んでいる場合じゃないわよ、と言われ、大急ぎで東計算センターに向かう。
しかし、管制室に入ることはできず、ドアを閉められてしまう。
戻ろうとするキャサリンを内側からドアを開けたハリソンが呼び戻して中に入れる。
資料を受け取ったハリソンは、グレンに最終数値を伝え、グレンは意気揚々とカプセルに乗り込んだ。
打ち上げは無事成功。マーキュリーは周回軌道に乗った。
地球周回は7周の予定で再突入はおよそ半日後と言ったところ。
しかし、2周目に警告ランプが点灯し、耐熱パネルが緩んでいることが懸念された。
管制室ではグレンに詳しいことは言わずに、対策を検討し始めた。
ごたごたしている管制室の様子でグレンもトラブルに気づく。
管制室は逆噴射ロケットの固定金具が耐熱パネルを抑えていると考え、本来使用後に切り離す逆噴射ロケットの自動切り離しを停止させる。
いよいよ再突入。
仮に途中で耐熱パネルが外れれば宇宙船が燃え尽きるか、最低でもグレン飛行士は熱によって死亡する。
グレンが窓の外に見たものは真っ赤な炎だった。
徐々に通信が不調になり、やがてカプセルは電離層に入り通信が完全に途絶えた。
管制室からの再三の呼びかけにも全く応答がない。
失敗か。
誰もがそう思った瞬間、グレンの声が飛び込んできた。
カプセルは再突入に成功し、見事予定地点の近くに着水。
カプセルを浮かせるエアバッグも正常に展開、グレンはヘリに回収された。
こうして無事にアメリカ初の有人周回宇宙飛行は成功した。
キャサリンはその後も宇宙計画に関与し、多大な貢献をして大統領から勲章を受けた。
メアリーはその後大学を無事修了し、NASA初の黒人女性技術者となった。
ドロシーもプログラミング部門の管理職として貢献した。
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こういう実在の人物を扱った映画の場合、本人の映像が最後にクレジットされることが多い。
本作でも3人の女性の写真が映し出されるが、キャサリンは一見すると黒人には見えず、かなり白人に近く見える。
実際のキャサリン・ジョンソンは、父親は黒人だが、母親は白人とインディアンの混血らしい。
もしそうだとすると白人は1/4と言うことになるが、その子供の見かけが黒人っぽくなければならないと言うことはない。
実際にキャサリンがNASAに就職できたのはNASAがアフリカ系アメリカ人を雇い始めたことを知って応募したからだし、
処遇はアフリカ系アメリカ人のものだったと思われる。
なお、NASAに雇われたのは35歳の時だったらしい。
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1960年代。
まだまだ実質的な黒人差別が横行し、女性に対しても偏見が強かった時代。
3人の優秀な黒人女性がNASAの宇宙計画に多大な貢献をしたものの、その実績が知られることはなかった。
もちろん映画なので多くは脚色されていると思う。
しかし、障壁を派手な運動や抗議行動ではなく、実績や地道な努力な見事な説得力で切り開いていく3人の女性の姿が
爽やかに描き出されている。
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原題は「HIDDEN FIGURES」
FIGUREはフィギュア、姿、形、図形などの意味で、直訳すれば「隠された姿」。
「知られざる人々」みたいな感じか。
確かに原題でも訳でもロケットの話とは分かりにくいとは思うが、邦題の「ドリーム」はちょっとピント外れ。
当初は「ドリーム 私たちのアポロ計画」だったらしい。
マーキュリー計画じゃ日本人になじみが薄いが、アポロ計画だと宇宙ロケットの話と分かる、とでも思ったんだろうが、
本気でそう思っていたかどうかは別として、それはあまりにもあまり。
「ドリーム」の方がまだましだが、もう少し気の利いたタイトルは考えられなかったのだろうか。
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FORTRANはプログラミング言語のひとつで科学技術計算を得意とする世界初の高級言語(コンパイラ)。
FORmula TRANslator(数式翻訳機)が名称の由来と言われる。
FORTRANにはバージョンがいくつかあり、IBM7090用のFORTRANは「FORTRAN IV」である。
ドロシーはテキストでFORTRANのコーディングはできても、カードリーダーに読ませるパンチカードを作るには機材が必要だ。
機械式のキーパンチ(カード穿孔機)以外に手動で穴をあける装置(ポータ・パンチなど)もあったので、
ドロシーにも作れないわけではないが、穿孔機と穴の開いていないカード(ブランクカード)を入手する必要がある。
入手するとなると、それなりに苦労もあったはずだが、全く触れられていない。
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ハリソンが新しい数式が必要、数式が見つからない、と言っていたのは、おそらくは「式」ではなく、微分方程式の解と思われる。
はっきりと覚えていないが新しい数式ではなく「オイラー法」でやると言ったのは、微分方程式を厳密に説くことを諦めて
オイラー法で近似解を求めると言うことだったと思われる。
オイラー法は微分方程式の数値解を求める近似計算法で、厳密解ではなくある程度の誤差を持つ(要は近似値、近似解)
一発で精緻な数値が算出されるわけではないので、後退オイラー法と組み合わせるなどして精度を高める方法が取られる。
現在ではより精度の高い近似値を求める方法として高次のルンゲ・クッタ法などが用いられているらしい。
キャサリンが黒板にずらずらと板書している式の多くは変換/展開された数式ではなく、実際の数値が入った計算式。
ただ、彼らが必要としているのは数学的な解ではなく、実際の計算結果の数字なのだからそれで良いのだろう。
なお、物体の運動の解析は容易ではない。
ニュートン力学で簡単に解けそうに思うが、ニュートン力学が扱うのは二体問題(2つの物体の相互作用)までで、
これが三体問題(3つの物体の相互作用)になると途端に難解になり、一定の制限の範囲でないと解くことができない。
計算量の過多や式の複雑さの問題ではなく、原理的に解法が得られておらず、数値解析などによる近似解しか得られない。
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