ブーリン家の姉妹
16世紀初頭のイングランド王家にまつわる歴史絵巻。
エリック・バナ、ナタリー・ポートマン、スカーレット・ヨハンソン。
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物語の序盤は、ブーリン家と当時のイングランド王ヘンリー8世の紹介。
ここでおさらいをしておこう。
ブーリン家は、ノーフォークの農家出身で3〜4代で貴族に上り詰めた、いわば成り上がり貴族。
この物語の主人公は、トーマス・ブーリンとエリザベス・ハワードの間に生まれたメアリーとアンの姉妹である。
一家にはもう一人、ジョージと言う息子がいた。
1520年、メアリー(スカーレット・ヨハンソン)は、裕福なウィリアム・ケアリー(キャリーとも)と結婚、
1524年には長女キャサリンを出産している。(キャサリンは映画に出てこない)
一方、ヘンリー8世は、チューダー朝ヘンリー7世の息子で、1501年に兄アーサーの死によって皇太子となり、
1509年、ヘンリー7世の死を受けて王位についた。
そして、元アーサーの妻であったキャサリン・オブ・アラゴンと結婚した。
キャサリン・オブ・アラゴンは、1516年メアリー(後のメアリー1世)を産むが、
死産が多く、いわゆるお世継である男児を産むことはできなかった。
お世継を産ませるために娘を利用する、当時としてはごく当たり前の状況で、
トーマスはヘンリー8世のブーリン家への来訪に合わせ、
アン(ナタリー・ポートマン)を王に見染めさせようとする。
しかし、ヘンリー8世が落馬、治療に当たったメアリーに一目惚れしたヘンリー8世は、
ブーリン一家を宮廷につかえさせ、当然のようにメアリーに手を出す。
アンは、親の許しを得ずにヘンリー・パーシーと結婚するが、
メアリーとヘンリー8世の関係に悪影響が出ると思った父(と叔父)に別れさせられ、
フランス宮廷に追いやられる。
メアリーが妊娠、ヘンリー8世のブーリン家への関心をつなぎとめるため、
トーマスはフランスからアンを呼び戻す。
アンはわずかの間に手練手管を身につけており、ヘンリー8世を翻弄する。
ヘンリー8世はアンに心変わり、メアリーと決別する。
時に1525年、メアリー・ブーリンが男児、ヘンリー・ブーリンを産む直前であった。
ヘンリー8世はアンと結婚するためにキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚をローマ教皇に申請、
却下されると激怒してローマ教会と断絶、1533年イギリス国教会を設立して自ら長となり、
キャサリン・オブ・アラゴンと離婚し、アンと結婚する。
かくして、アンは王妃となった。
1534年、アンは長女を出産、エリザベス(後のエリザベス1世)と名づける。
アンはその後も男児を産むことはできず、ヘンリー8世がジェーン・シーモアに心移りしたため、
嫉妬し、保身のあまり、異常とも思える行動をとる。
そしてついに王への反逆の名目で捕らえられ、斬首刑の宣告を受ける。
メアリーは、宮廷を離れ田舎に逃げていたが、アンの救命のために、ヘンリー8世に嘆願に行くのだった。
果たして、アンの運命は。
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ナタリー・ポートマンの演技はみごとで、前半は傲慢さと知性、そして後半は恐怖と狂気を見事に表している。
映画全体としては、戦略家で切れるが意地の悪い姉のアンと心やさしい素直な妹のメアリーの対比になっている。
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アン・ブーリンの結末は歴史教科書の教えるとおりである。
このあと、メアリーはノーフォークに戻り、元家臣だったスタッフォード(エディ・レッドメイン)と再婚。
映画では、メアリーがエリザベスを育て、ヘンリー8世の世継問題は杞憂に終わったとしているが、
これは史実と間違っている。
少し歴史をひも解いてみよう。
ヘンリー8世は、アン・ブーリンを1536年に処刑した後、ジェーン・シーモアと結婚。
1537年、ジェーン・シーモアは男児、エドワードを出産して死んでしまった。
ついで、ヘンリー8世は、1540年、アン・オブ・クレーヴズと結婚したが、
当時のお見合い写真の役割をしていた肖像画は修正されすぎだと怒り狂い、
肖像画を描かせた大臣を処世してしまったほどだった。
(なお、画家は、王のお気に入りだったため死刑は免れたそうだ)
その結果、わずか半年で離婚、同じ年にアン・ブーリンのいとこであるキャサリン・ハワードと結婚した。
しかし2年と持たず、1542年には夫人の不倫疑惑の疑念に駆られてキャサリンを処刑してしまう。
1543年、最後の妻、キャサリン・パーと結婚。
キャサリン・パーはキャサリン・オブ・アラゴンの子、メアリー・チューダーと、
アン・ブーリンの子、エリザベスを擁護し、復権させた。
1547年、ヘンリー8世がし去すると、エドワード6世が即位したが、病弱で1553年に15歳で死んでしまう。
このあと、ヘンリー8世の妹のメアリー・チューダーの孫のジェーン・グレイが即位するが、在位わずか10日。
キャサリン・オブ・アラゴンの娘のメアリー・チューダーがメアリー1世として即位する。
メアリー1世は母の血を継いで熱心なカソリックであり、
プロテスタントの指導者を粛清、ブラディ・マリー(血まみれのマリー、メアリー)と呼ばれた。
後のスペイン王、フェリペ2世と結婚するが、1558年病死。
ここではじめてエリザベス1世の出番となるが、既にヘンリー8世の死後11年が過ぎていた。
映画では、アンが姉、メアリーが妹となっているが、近年の学説ではメアリーが姉、アンが妹とされている。
また、第1子を兄のジョージとする説と、メアリーが第1子とする説があるようだ。
その他にも文献ではアンとメアリーの経歴が逆になっている部分も多々あり、
当時の記録が曖昧であったことのほか、ブーリン家が旧家ではなかったことを示しているとも言われる。
なお、ヘンリー8世は、梅毒患者であり、エドワード6世も先天性梅毒に侵されていたそうだ。
妻が死産を繰り返したのも梅毒のせいであったと推察される。
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