ベンジャミン・バトン 数奇な人生
2時間47分。
ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ティルダ・スウィントン、ジェイソン・フレミング、
タラジ・P・ヘンソン、エル・ファニング。
***
2005年、ニューオーリンズのある病院。
外は台風の接近で大荒れ。
やがて来る死の時を前に、老婆が娘、キャロライン(ジュリア・オーモンド)と話をしている。
それは、彼女の父が除幕式を観たと言う駅舎の大時計を作った盲目の職人の話だった。
彼は第1次大戦で息子を亡くし、依頼を受けた駅舎の大時計を完成させるが、それは時を逆に刻む時計だった。
時計が逆回りだと言う観衆に向って彼は言った。
もし、時が逆に流れれば、戦争で死んだ息子は生き返り、愛する家族のもとへ帰ってくるだろう。
誰が何と言おうとこれが私の時計なのだ、と。
老婆はキャロラインに日記を読むように頼む。
「ずっと読みたかったけど、読めなかったの。」
「これって、日記って言うより、いろんなものが挟んであるけど。」
「いいから。読んでちょうだい。」
老婆に急かされて、キャロラインは日記を読み始める。
「覚えているうちに自分の人生について書いておきたい。
私が生まれたのは、第1次大戦が終わった1919年、街中が勝利に浮かれていた。」
街を急ぐ一人の男性、家にたどりつくと出産したばかりの妻が最後の時を迎えようとしていた。
「あの子をずっと守って。」
妻の言葉に約束したものの、赤ん坊を見た男は、赤ん坊を抱えると家を飛び出し、
街を走り抜け、たまたま行きついた家の階段に赤ん坊を置いて去る。
そこは老人ホームだった。
介護士のクィーニー(タラジ・P・ヘンソン)は、赤ん坊のまるで老人のような姿に驚きながら、
妹の子を預かることになったとして、ホームに迎え入れるのだった。
少々認知症の入った老人たちは異様な見かけの「ベンジャミン」を快く受け入れる。
見かけは80歳の老人だが、中身は子供で、足腰も弱って耳も遠いがやることは幼稚。
老人たちと軋轢はありながらも一緒に過ごしていく。
ある日曜日、祖母を見舞いに来た一人の娘、ディジー(エル・ファニング)、
ベンジャミンが「普通の老人ではない」と気づき、友達になろうとする。
ずっと老人ホームに閉じこもっていたベンジャミンだったが、少しずつ歩けるようになり、町にも出ていく。
やがて杖もなく動けるようになり、港でタグボートの船員となり、不妊で悩んでいた養母クィーニーに娘ができ、
ついに17歳の時、ベンジャミンは老人ホームを出て船乗りになる。
時に、ディジーが10歳の時だった。
老人扱いされながらも次々と新しい経験をするベンジャミン。
何もかもが新鮮だった。
約束通り、行く先々でディジーに手紙を書き、やがてソビエトで長い時間を過ごすことになる。
そこで出会ったのは外交官のアボット夫妻。
ベンジャミンは、不思議な魅力を持つアボット夫人(ティルダ・スウィントン)に惹かれる。
そのころ、ディジーは、バレーダンサーへの階段を着実に上っていた。
やがて第2次大戦、真珠湾攻撃とともにベンジャミンとアボット夫人の逢瀬は突然終わりを告げる。
ベンジャミンは、タグボートで米海軍の仕事を続けるが、Uボートと遭遇、乗組員の大半が死ぬ。
第2次大戦終了後、母クィーニーの待つ老人ホームへ帰ったベンジャミン。
一方で、若く美しく華やかなダンサーになったディジーとはすれ違うばかりだった。
何年か前にベンジャミンに近づく男性がいた。
その人こそ、生まれたばかりのベンジャミンを捨てたトーマス・バトン(ジェイソン・フレミング)だった。
トーマスは足を感染症で患い、余命いくばくもなく、ベンジャミンにすべてを話し、資産を譲ると言う。
資産は引き継いだものの、経営に奔走するでもなく老人ホームを手伝うベンジャミン。
ある日、ベンジャミンはディジーの舞台を観にニューヨークへやってくる。
華やかな舞台とその仲間、場違いだと帰るベンジャミンをディジーは冷たくあしらう。
しかし、彼は父が死んだとディジーに告げに来たのだった。
ディジーは、トップダンサーとして海外へも出かけたが、パリで交通事故に遭い二度と舞台に立てなくなる。
その上、見舞いに来たベンジャミンをなじり、追い返す。
何年かのち、心の傷も癒えたディジーはニューオーリンズに戻り、ベンジャミンと再会する。
ディジーはバレー教室を開き、ベンジャミンと暮らす。
ディジーは妊娠し、ベンジャミンの心配をよそに普通の女の子(perfect baby girl)が生まれる。
娘の名はキャロライン、日記を読んでくれているキャロラインその人だった。
娘は初めて自分の生い立ちを知る。
どんどん若くなり、子供になってしまうことを恐れたベンジャミンは、
資産を処分し、全てをディジーに託して家を去る。
世界各地から今度は娘あての手紙を送ってきていたが、ディジーがそれを仕舞っていたのだ。
キャロラインが13歳のころ、ベンジャミンは突然戻ってくる。
若く、初々しいベンジャミン、娘キャロラインとの一瞬の再開。
その夜をディジーと過ごしたベンジャミン。
日記はそこで終わり、ベンジャミンはいずこかへ去る。
その後は、ディジーが話をつなぐ。
何年かのち、10歳くらいの少年が見つかるが、それは認知症になったベンジャミンだった。
もうディジーのことも分からなくなってしまったベンジャミン。
いま、キャロラインが読んでいる日記を持っていたらしい。
見かけは子供だが、ボケて奇行を繰り返すベンジャミン。
ディジーは老人ホームを手伝い、ベンジャミンの面倒を見る。
どんどんと若くなり、どんどんと忘れていく。
喋ることも、歩くことも、そしてついに、ベンジャミンは赤ん坊となり、ディジーの腕の中で還らぬ人となる。
ディジーの話はさらに続く。
あの逆回りする駅の大時計も21世紀に入ってデジタル時計に掛け替えられ、
ついにその役目を終えた、と。
台風接近の混乱の病院で、キャロラインに話しを告げたディジーは静かにその生涯を終えようとしていた。
そして、台風による洪水は、倉庫に入れられた大時計をも静かに止めようとしていたのだった。
***
淡々とした映画でしたが、観終わった後、なんとも不思議な感情にとらわれました。
別れ。
人はいつか必ず愛する人と別れなければなりません。
たどる道は違っていても、いきつく先は同じ。
その先に何があるかは分かりません。
何かを求め、何かを見つけ、出会い、そしていつかは去っていくのです。
人はいつか死ぬ、と言うことを改めて考えさせられた映画でした。
最初に会うディジーのエル・ファニングは、ダコタ・ファニングの妹。
走ってくるディジーを一瞬ダコタ・ファニングかと思ったのは私だけでしょうか。
あの台風はカトリーヌ?
ニューオーリンズに甚大な被害をもたらしました。
|